今年は、一人の時間を豊かにしようと思う。在宅勤務が常態化してから一人でいる時間が増えた。外で友人に会う機会も減った。
それをずっと「誰とも一緒にいられない」と否定的にとらえていた。一人でいることを孤独とか孤立とかネガティブな言葉で受け止めていた。そうではなくて、むしろ積極的に一人でいる時間を楽しむようにしたい。
最近は「ソロ活」という言葉もあり、一人の時間を満喫する人も増えていると聞く。
一人図書館、一人美術館、一人グルメ、一人カラオケ、一人旅。何でも一人でやってみる。
もう一つ、目標にするのがデジタル終活。終活というと大袈裟ならばデジタル整理としてもいい。パスワードを紙に書いておいて何かあったときに家族が困らないようにする。
さらにもう一つ、大きな仕事がウェブサイトの移行。このサイトは、ISPであるBiglobeのサーバーを借りている。メールも主に使っているのはこの会社のアカウント。ここへ来る迷惑メールが最近激増している。どこかで漏洩があったのかもしれない。
Biglobeのメールをやめたいので、まずは、ユーザーIDをこのメールにしているサービスをすべて別のメールに移行する。これは昨年末から作業している。
次にウェブサイトをサードパーティの無料サーバーへ移行する。これは時間をかけて慎重に進める。サーバーを移行したら索引も書き換えなければならない。これもゆっくり進める。
それから、英語、仏語、手書き。ここ数年、毎年目標にしているけど続かない。やる気はあっても続かない。これは何とかしたい。
去年再開したギターも、途中で練習をやめてしまったので、再開したい。
さくいん:一人、英語
穏やかな年末年始だった。これまでには呑み過ぎたり、夜、眠れなかったり、急に悲しい気持ちになったりすることがあった。今年はそういうことがなかった。
小学六年生の姪から89歳の母まで9人が集まり、楽しく過ごすことができた。
30日に私が買ったのは、主に鶏肉。煮しめ用2Kg、雑煮用1Kg、そして、我が家の正月の定番カレー用に2Kg。31日には皆が集まるまで、料理を手伝った。母は味付けに問題なく、むしろ大人数のために料理をすることを楽しんでいた。一方で、自分が何を作っているのか、わからなくなったり、段取りがうまく行かないこともあった。横で段取りの案内をしながら味付けを教わった。「おふくろの味」を継承できるか。将来の課題。
いつもならいい感じに酔いがまわり、紅白歌合戦の途中で眠ってしまうところ、昨年は、B'zもThe Alfeeも、米津玄師もしっかり見た。私には、『光る君へ』よりも『虎に翼』に思い入れがあったことがわかった。
元日の夜から少しずつ人が減っていき、今朝は母と二人になった。煮しめも雑煮もきれいになくなった。二人で燗した酒を呑み、箱根駅伝の中継を見た。
今年は夜更かしもしなかった。いつも通りの時間に寝てよく眠れた。目覚めも良かった。健康面で幸先がいいのはうれしい。
3日の昼に実家を出て帰京した。走っている駅伝の選手が品川付近で車窓から見えた。東京からはまた中央線のグリーン車に乗れた。これまた幸先がいい。初詣にはまだ行っていないけど、気持ちの年始を過ごしている。
夜は子どもたちに餃子を振る舞った。600gの豚ひき肉で50個作った。3人でちょうど食べきった。餃子はすっかり「我が家の味」になっているらしい。ありがたい。
子どもたちは、なぜ私がビリー・ジョエルを聴き続けているのか。なぜ、ときおり餃子を一人で作るのか、知る由もない。知らせる気も私にはない。
私がこの世界から立ち去ったとき、このウェブサイトを見つけて知ることになるかもしれない。それとも、私が立ち去るときに、この世界も消滅させたほうがいいだろうか。
さくいん:HOME(家族)、紅白歌合戦、米津玄師、餃子、ビリー・ジョエル
今年の密かな野望。一昨年に自主制作した本、『自死遺族であるということ』をもっと売りたい。世に広めたい。
極めて個人的な手記ではあるけど、作った以上は多くの人に読んでもらいたい。同じ境遇の自死遺族の人や、グリーフケアに関心がある人にとっては有益な作品と信じている。
では、どうやって拡販するか。Twitterのフォローワー数は少ないので、ここからの拡販は期待できない。
認証済アカウントにして宣伝するという手もあるけど、費用がかかりすぎる。同じようにお金をかけるなら、PODの宣伝ではなく、ハードカバーで自費出版したい。
さて、どうするか。11月の開園記念日までには方向を定めたい。
さくいん:自死遺族、悲嘆(グリーフケア)
毎年買っている雑誌を読みながら今年の計画を立てる。
ポーラ美術館は2月に御殿場旅行を計画しているので、そのときに行けそう。
ここ数年、この雑誌で特集されるような大型企画は混雑を恐れて出かけていない。今年は休みをとって平日に行こうと思う。
ほかには、歴博とか大河美術館とか、ちょっと遠いところへ旅行気分で行きたい。
さくいん:府中市美術館、三菱一号館美術館、大川美術館
冬休みの最終日だった昨日。何をしようか、あれこれ思案した結果、神代植物公園へ蝋梅(ろうばい)を探しに行った。
行ってみると蝋梅は見頃でいい香りを漂わせていた。天気は雲一つない晴天。芝生広場のパンパスグラスも青空に映えた。百日紅(さるすべり)の並木には人影もなく、冬らしい光景だった。
今年最初の森林浴とナチュラル・マインドフルネスのひとときを過ごした。
散策のあとは深大寺そば。仕事初めの前日なのでお酒は控えた。代わりに、いつもは頼まない天ざる中盛りを食べた。
気持ちのいい一日だったのに、長年大事に使っていた手袋をどこかで片方落としてしまい、悲しい気持ちで帰宅した。
さくいん:神代植物公園
日曜日。神代植物公園ではいつもの通り、大温室でゆったりとした時間を過ごした。
この日はらんやベゴニアは見ずに、熱帯スイレン室に長い時間いた。
たくさん咲いているなかからお気に入りの品種を選んで写真を撮った。
写真は、左上から順に、アフター・グロー、ホワイト・パール、ムラサキシキブ、ティナ、グリーン・スモーク、アヴァランチ。
さくいん:神代植物公園
子どもがいなくて悩む人もいれば、子どもを産んで苦しむ人もいる。
不妊治療をしても子を授からなかった人は深い心の傷を負うという。その一方で『母親になって後悔してる』という本が話題になり、同じ趣旨の日本版も刊行されている。
子どもを虐待する親の事件も後を絶たない。「毒親」という言葉も定着した。多くの人が「家族」のあり方について悩んでいる。
自分の子どもを残したい
そういう血のつながりに対するこだわりの強さは、血のつながらない子どもを育てている人たちへの偏見の裏返し。育てられている子どもへも偏見がある。
戦前のほうが里親制度は根づいていた。養子縁組は日常的なものだった。くわえて、書生や使用人、居候など、戦前の「家」には血のつながらない人もたくさん住んでいた。そういう人たちの集まりが「家族」だった。無論、すべての家族が円満だったと言うつもりはない。
現代では、ペットは家族の一員と思っている人は少なくないのに、養子を迎えて里親になることに選ぶ人は少ない。
現代の家族観のほうが偏狭に思える。そこに現代の「家族」の息苦しさがある。
さくいん:HOME(家族)
新しいパジャマ
妻がクリスマスに新しいパジャマをプレゼントしてくれた。しばらく息子が家を出るときに残していったお古を着てい他ので少々ミジメな気持ちだった。
新しいパジャマはネル生地で柔らかく温かい。
夜、寝るときには暖房はつけない。寒いときには足元に湯たんぽを入れる。
朝は寒いので、目が覚めたらエアコンをつけて部屋が暖かくなってから着替えている。
以前は寒くても朝、散歩をしたときもあった。最近は「筋トレは家でしている」と言い訳して、平日はほとんど家から出ていない。
『烏兎の庭』というタイトルでウェブサイトを自作しはじめたのは2022年の秋。それから20年以上が経過してネット事情も大きく変わっている。
一言で言うと初期のページは今の感覚ではデザインが古い。スマートフォンに対応したレスポンシブデザインでもない。
アクセス解析を見ると、7割以上の人はモバイルで閲覧している。多くのユーザーにフレンドリーでないサイトは不親切だろう。リニューアルすべきではないか。
その一方で、デザインの変遷は私の知識と技術の進歩の歴史という思いもある。すこしずつ改良されている過程もウェブサイトの一部と言える。
試しに第五部の目次を第七部の目次のデザインに流し込んでみようと試みたところ、一からデザインを作るよりも難しかった。出来上がっているデザインを別のフォーマットにするのは簡単ではない。
結局、当面は古いページは古いままにすることにした。
退職してすることが何もないほどヒマになったら挑戦するかもしれない。
新春ドラマを録画しておいてあとで見た。喪失と再生とは。家族とは。兄弟とは。そんなことを肩肘張らずに、ふんわり考えさせるドラマだった。江ノ電とちょっと似ている釜山の鉄道が効果的に使われていた。傑作とは言えないまでも、悪くはない、佳作と書いておく。
鎌倉に住む両親のいない兄弟姉妹の物語、というと『海街diary』を思い出さずにはいられない。10年前に公開された『海街』に比べると、国際結婚、同性婚、独身女性の身の振り方など、随所で「多様化」が見られる。この10年で確かに家族観は「多様化」した。
しっかり者の長女、自由奔放な次女、甘え上手な末っ子。こうした設定は『海街』とほぼ同じ。少々ステロタイプな感じがあった。
「寂しさ」がキーワードの一つだった。家族は「寂しさ」を埋めてくれる場所ではあるとしても、いつかはそれぞれ巣立たなければならない。
両親を突然の事故で失ったために、三人の絆はふつうの兄弟よりずっと堅いものになった。三人とも大人になり、それぞれの道を進まなければならない年齢になっても、絆が強すぎて自分の道を選ぶことができずにいた。
それだけ両親との突然の死別は強い衝撃を与えて、深い傷を残したのだろう。ドラマでは直接描かれなかったところが気になった。
それぞれが自分なりの幸せを模索する姿に共感したし、丸くまとまった結末もよかった。深刻すぎず、正月休みのあいだに見るのにちょうどいいドラマだった。
私も三人姉弟だった。一番上の姉は勉強はできたけれども、心は不安定でしっかり者とは言えない人だった。姉が生きていたら、大人になってどんな姉弟関係になっていただろうか。ふと、そんなことも考えた。
新春ドラマというと、3年前に見た『優しい音楽』も鎌倉が舞台だった。テレビ局は正月になると江ノ電の魅力にすがりつきたくなるものなのか。
さくいん:江ノ電、『海街diary』、松坂桃李、HOME(家族)
図鑑が大好きなので、この特集は買わずにはいられなかった。
図鑑の王道である植物生物系には興味がない。興味があるのは、歴史、宇宙、旅、乗り物。
たくさん面白そうな図鑑が紹介されているので、これから図書館で借りるのが楽しみ。
私の図鑑好きの出発点は、父が買っていた別冊太陽と私がせがんで買ってもらったケイブンシャ『大百科』シリーズ。このシリーズを扱った図鑑も面白かった。
今回、寄稿している人のなかにも、70年前後に生まれた人で幼少期の思い出に『大百科』シリーズを挙げている人がいた。
読んでみたい図鑑をとりあえず3冊、上げておく。
私のお勧め図鑑。歴史と旅、乗り物、宇宙のカテゴリーから選んだ。
ほかにも紹介したい図鑑はたくさんある。
ブクログにはすでに500冊以上の図鑑が登録されている。
さくいん:パリ
ブクログ:図鑑
さくいん:
波瀾万丈の人生を辿った島崎藤村は晩年、「過去を忘れるんじゃあないんだね。過去を葬るということをようやく気がついたんだよ」と妻に語ったという。
藤村の評伝を読んだ2006年にはこの意味がわからなかった。
今では少しわかるような気がする。
深い闇から立ち直るとき、心を傷つけた「事件」は「退屈なエピソード」になると中井久夫は書いていた。
「葬る」とはそういうことではないか。
「忘れる」ことではなく「忘れてもいい」と思えること。
忘れても「出来事」は身体の一部になる。なぜなら傷は身体全体に受けているものだから。
さくいん:島崎藤村、中井久夫
小さな会社で働いていた時、社長が辞めて私が社長代行を務めることになった。そのとき米国本社の社長に言われた。
いまは泳ぎ方を教えたり、練習したりする暇はない。俺はお前を海に突き落とす。自分で泳ぎ方を覚えろ
自分の営業活動に加えて、中途採用に経理の業務もこなさなければならず、8ヶ月間、働きづめだった。結局、泳ぎきれず、新社長が着任して元の営業職に戻った。
そのときすでにうつ病を患っていたから激務をこなせるはずもなかった。
いまでも、当時のことを思い出すと胸が苦しくなる。
先日、家族で食事をしたとき、「社長代行を一時していたけど、失格で営業職に戻った」と話したら、「あの頃、子どもから見てもも忙しすぎに見えた、元に戻ってよかったよ」と娘に返された。子どもの観察力は侮れないと感じた。
さくいん:うつ病
信仰を持つならば、その組織に入らなければならないのだろうか。おそらくそうだろう。
信仰を持つことと組織への加入は同義。自分一人だけの信仰は傲慢でしかないから。
どんな組織にもなじめず、いつも飛び出してしまう私は、宗教組織にも入ることはできず、それゆえ信仰を持つこともできないだろう。
もとより私の属性の一つは、私が関心を持っている宗教の教義において大罪とされている。これが修正されないかぎり、私が入信することはない。
さくいん:
正月に神代植物公園へ行ったとき、園芸店で梅の苗木を見つけた。
店主に訊くと栽培はそれほど大変ではないらしい。実家にある梅の木も、元は父が鎌倉の園芸店で買った小さな苗木で、特別なことはしていないのに大きく育った。
前々から庭に梅の木が欲しかった。姉の諡が「寒梅清香大姉」だから。
紅冬至という品種で名前の通り、冬至の頃から開花する早咲きの紅梅らしい。
「寒梅忌」と名づけた姉の命日である2月6日よりは早く咲いてしまうかもしれない。もし冬至の頃に咲くなら、新年の祝いにふさわしいだろう。
庭仕事に取り組むのは初めて。これから家族の一員のように大事に育てていく。
さくいん:
さくいん:
さくいん:高松美咲
さくいん:
さくいん:NHK(テレビ)、安克昌、宮地尚子
-->